【ゆる訳】シネプレイ[インタビュー]<D.P>クギョファン、“断定しないキャラクターから出てくる変数を楽しむ”

クギョファン

씨네플레이[인터뷰] 구교환, “단정 짓지 않은 캐릭터에서 나오는 변수를 즐긴다”
2021.09.02 シムギュハン記者

[인터뷰] 구교환, “단정 짓지 않은 캐릭터에서 나오는 변수를 즐긴다”
알만한 사람은 아는 배우에서 지금은 누구나 아는 배우가 되어버린 구교환. 누군가에겐 혼자만 알고 싶던 ...

知る人ぞ知る俳優から今では誰もが知る俳優になってしまったクギョファン。誰かにとってはひとりだけで知っておきたかった宝石のようなこの俳優の愛を今やみんなと分け合わなければならない未練は大きいが、鋭く研ぎ澄まされた魅惑的なクギョファンは必然的に観客たちの心に鋭く痕跡を残す他なかった。クギョファンという服を纏ったキャラクターはシーンを納得させながらも見たことがない個性を持ち、観客へ確信と信頼をたやすく持たせない緊張感を与える。なじみがないけど身近な、特別だけど平凡な。似合わない単語を組み合わせても全くぎこちなくならないクギョファンは説明しようとしても説明できない、今一番熱い俳優だ。

Netflixオリジナル<キングダム:アシン伝>の部族長、<モガディシュ>のテジュンギ参事官としてこの夏を熱く盛り上げたクギョファンがその熱気をそのまま抱いて、またひとつのNetflixオリジナルシリーズ<D.P>で視聴者達の元を訪ねた。彼が演じるハンホヨル上等兵は軍務離脱逮捕班(D.P)だ。外部と断絶され階級と序列で決められた軍隊という空間でそれぞれ多くの理由により部隊の外へ出た兵士たち、この脱走兵たちをもう一度部隊に(無事に)連れて来るのがD.Pハンホヨル上等兵の任務。理由のない兵舎内の暴力と不条理を見て毎話怒りがこみ上げて胸が締め付けられても、真摯さの中に自然なウィットを忘れないクギョファンの演技に一時でも息つける隙間を見つける。その隙間をこじ開けて入り出会ったクギョファンとの対話を伝える。

シナリオを受け取った時ハンホヨルはどのような人物だと思ったか
ストーリー全体をまず見た。1話から6話まで各話ごと登場する人物たちも多く様々だ。人物よりもドラマ自体にもっと魅力を感じた。

キムボトン作家の原作を読んでみたか。ハンホヨルは原作にはいなかったキャラクターだ。
まだ原作を読んだことがなかった。言及されたとおりハンホヨルというキャラクターは新しく作られた人物だ。だから原作の雰囲気の影響を受けないことがおもしろそうだと考えた。知って有利な
こともあるけれど知らないで有利なこともあると思う。

一般人はもちろん軍で服務した人々も軍務離脱逮捕班(D.P)はなじみがない職務だ。どのように準備したのか。
周りにその職務出身者が何人かいらっしゃった。インタービューというには少し大げさだが、どのように過ごされたのか聞いてみるくらいの準備はした。実際D.Pといっても一般の人たちと違いはないのではないか。役を引き受けてその役に近づく時、常にその人物が持つ職業やどんな行動も誇示しないようにする主義だ。いつものようにただハンホヨル自体、つまりD.Pということをまず意識するのではなくハンホヨルを前に据えた。出来事は重要ではあるが、出来事はただ僕がそこで行動すると起こるのだからまずはハンホヨルは誰なのかが重要だった。

ハンホヨルはとぼけていて明るい性格だ。多少暗い背景があるアンジュノと対比される人物でもある。アンジュノは暴力的な父親のせいで不遇な幼少期を送った。それに比べハンホヨルの背景は詳しく描写されなかった。ひとり息子ということは確信できる家族写真と両親はなぜ自分を産んだのか程度のセリフだけ見せてくれる。
そのシーンは釜山へ行く前のシーンではないか。ただハンホヨルが休暇に出て一緒にラーメンを食べたいひとが必要だったんだと思う(笑み)。前日譚を詳しく設定してはいないが、エピソードごとに与えるヒントがある。ジュノよりもむしろ休暇に出たとき誰よりも寂しく見えたのはホヨルだったようだ。前日譚に関するいろいろな設定はあるが、あえて僕が何か明確なものを見せるよりも何かうさんくさい調子を見せるのがいいと思った。僕が全て作って整えてしまったらそれはかえってハンホヨルらしくないように感じた。

事前インタビューでハンホヨルの行動は予測できても心は予測できなかったと言われた。ハンホヨルの姿を見ると善良さの中に何か意外な姿が込められてもいるようだ。ただそれは推測に過ぎずどんなシーンでも確信を得るヒントがない点で演技の意図がうまく反映されたようだ。
そのように良く見ていただけたなら…僕もその部分に同意する(笑み)

ハンホヨルの長所はどんなことにも最善を尽くす姿だ。どんな環境にもうまく適用し、また本人の位置を観察する。現実のクギョファンはどうか。
現実のクギョファンはハンホヨルよりは…(少し考えて)ハンホヨルほど…うーんわからない。ハンホヨルになりたがっているがハンホヨルほどの能力は持ってないと思う。けれどもハンホヨルは僕が好む人物だ。彼に近づきたくもあるし。

具体的にどんなところが近づきたいか。
何かしら着実に準備している(笑)

釜山での追撃シーンが目立った。低い建物の屋上を飛び渡りながら走る姿が印象深い。必殺技グラップリングも記憶に残る。
アンジュノと一緒にリレーのように撮影した。僕のシーンを撮った後はチョンヘイン氏のシーンを撮影し、また僕の番になって。ローテーションのように行ったり来たりした。見せている勢いそのままだ。ハンホヨルがもしかするとそうやって走っていることを楽しんでいるのかという気がするくらいに。ずっと何か騒ぎながら口を止めたらダメなそんなハンホヨル式の追撃戦だった。

ハンホヨルの衣装も独特だ。ぶかっとして隙があるように見えたが意図された気楽さのように感じたりもする。外形的な容貌はどのように作られたのか。
衣装監督と監督の意図(笑)?ハンホヨルが2、3話で着ていた服が同じだ。それゆえハンホヨルを象徴するトーンがある。でも僕もそういう服を好む。俳優としては衣装も非常に重要なポイントだ。その服を着るとその人が誰なのかわかる。<半島>(2020) でソ大尉役をした時のソ大尉の衣装、<モガディシュ>(2021)テジュンギの衣装。今までやってきた全ての作品で衣装をフィッティングしてみてはじめてそのキャラクターが誰なのかもっと明確に近づいた。ハンホヨルもそのジャンパーを着ていた時“ハンホヨルはこんなルーズなフィット感が好きな子なんだな”“なんでハンホヨルはルーズなフィット感が好きなのか?”“何かタイトなのが嫌いなのか?”このようにずっと連想した。

衣装に隠されたディティールはあるか。
こだわりがある?なぜなら次の回へ移っても同じ衣装を着ていたこともあるし、ひとつの衣装をアレンジして着たりもして。だから好きなものはずっと好きな人なんだなと思った。僕も好きな服があったらほとんど皮膚みたいに着ている。ハンホヨルも服をそうやって皮膚みたいに着るんだ。だからたぶん今日製作報告会でもハンホヨルを象徴するものとしてそのジャンパーを置いたようだ。やっぱりマーケティングでもそう見ているんだなと思った。そのジャンパーがもしかして印象に残った?

目標に集中するために他の部分は少しおざなりにするように感じもした。
その部分も当たっている。でもハンホヨルはその服がかわいいと思っている(笑)僕もかわいいと思う。そういう服をずっと着て持続性を持ってるところを見て“あ!この子は恋愛を一度したら長くする子かもしれない”みたいに、シリーズの中で表わされていないハンホヨルの価値観が窺えるかもしれない。こうやって衣装をフィッティングしながら。人物が持つ要素を探すようだ。

徹底して階級化されて進む軍隊と言う組織は不合理が極大化しやすい空間でもある。社会の不条理を軍隊へ引っ張ってきて風刺する作品でもある。
それは演出の意図だと思う。俳優が何か意図を持って演技したりそのシーンがすごく意味があると考えて撮影に入ったら、これを格好良く撮らなきゃとなって何かを誇示するようになる。だからただシナリオのテキストに忠実にした。ひたすらその出来事や人物のディティールにずっと忠実にした。大きな画を描かれるのは監督がされるだろうと考えた。

脱走兵の事情に共感を求めたり、内務班で起きる暴力などの悪行についての意図的な評価を排除した点も良かった。感情が過剰ならないようにすることにも神経を使ったようだ。
僕はまだ作品を見れていない。もしかしてこのシーンが使われているかわからない。何気ないセリフのように聞こえるかもしれないが“俺達が刑事でもあるまいし”こんなセリフがあった。脱走兵を追いかけ始めるときに話したセリフだが、このセリフがずっと頭に残った。この子は刑事でもないけど、だからこの作品は捜査物ではないんだと。誰かが逮捕して誰かは逃げて、そういうのじゃなく、みんな同僚、仲間だと考えてそのシーンに臨んだように思う。脱走兵たちについての考えはエピソードごと変わったりシーンごとに変わったりして。僕がやたら逃げるように答えているみたいだけどそれが事実だから。何ひとつ簡単に、むやみに定義しないようにした。どんな状況も関係も。嗜好が確実なのは服しかない。

それぞれ気の毒な事情がある脱走兵のいきさつに向き合いながらハンホヨルとアンジュノもともに成長する物語だ。
そうだ。ハンホヨルはアンジュノが誰なのか一目でわかった。“あ、おまえがアンジュノか。俺の息子よ”僕はこのセリフがハンホヨルとアンジュノの関係について一番大きなヒントだと思う。一目で惚れるということは必ずしも異性やラブロマンスにだけ通じるものではない。ホヨルも誰かを探していて、ジュノを通じて満たされていくところもある。支えられているところもあって。単純にフィジカル的な部分もあるが情緒的にもともに共有しようとする気持ちもあった。

ハンホヨルがアンジュノを一目でわかったという言葉について再度聞きたい。アンジュノに見える痛みのようなものが直感的に見えたということか。
そんなに大げさなことではない。僕が誰かを待っているとき、まるでタングンマーケットの直取引をするとか。それを待っている時、なぜかその人のようだと感じることがないか(笑)。ハンホヨルもこれからD.P班のパートナーが必要だったし、また情緒を共有する友人が必要だったので、その瞬間にすぐわかったんだ。いわゆるタングンマーケット直取引相手のように(笑)。

チョンヘイン氏との息が重要な作品だ。ふたりの呼吸はどうだったか。
私たちがセリフあるいは導線を覚えてシーンを作るという概念よりお互いをただ理解するという経験をしてみたような感じだ。今の段階で言うとすれば、今すぐどこかの監督があるシーンのシナリオを持ってきて今これ撮りましょうと言われてもすぐ一緒に撮れるくらいだ。セリフさえ全部覚えてくれば(笑)

クギョファン氏が先任役なので先任の立場ではアドリブを思う存分投げかけることができたとするとチョンヘイン氏は後輩という設定なのでこれをどう受ければいいか悩みもあったようだが。
アドリブといえるシーンはほとんどない。全部シナリオの中にある場面だった。アドリブが多くなるとシーンの目的を見失ってしまわないか。あえてアドリブはせずにセリフをよりハンホヨルらしいリズムに持っていくくらいだ。それはいずれも監督のディレクション下で行われたシーンだった。でもアドリブのように自然に見えたという言葉は僕にとっては気分がいい言葉ではある。

クギョファンから見てチョンヘインはどんな俳優か。
例えば僕がセリフを間違えてもそれを自然にいい状況にすることができる俳優だ。太極拳とでも言ったらいいか。まるで太極拳の達人のような、何かパンチが来ても自然に受け流す、演技というものはお互い自分のことだけをしようとするものではないから、ちょうどこれくらいまでがいいようだ。柔軟性は俳優として誰もが身につけているけれどチョンヘインはその中でも最高レベル?(笑)

ハンジュニ監督とは昔から縁があると言ったが、作品を一緒にするのを初めてではないか?ハンジュニ監督との仕事はどうだったか。
言われた通り個人的にも昔から知り合いだった。だから気楽だ。ハンジュニ監督に僕が誰なのか、あるいはどんな人間なのか知ってもらわなければいけないという不安感もなかった。作業をしながら感じた監督の姿も僕が思っていたそのままの姿だった。監督には監督だけのヒューマニズムとロマンがある。以前から感じていたことだったが、やはり映画の中にもそのまま表れた。

<우리 손자 베스트> <꿈의 제인>(2016) <메기>(2018)を通して飛躍し、<半島> <モガディシュ>、Netflixオリジナル<キングダム:アシン伝>(2016)を通し大衆性まで確保した。最近になっておきた変化をどのように実感しているか。
まだ大きな実感はないが…違う。あった。今も現場で撮影をしているが同僚の俳優たちが‘私それ見たよ’と言われるとき?そういう時ちょっと実感が沸くみたい。

大衆も今やみんな知っているようだが。
外で?僕はほんとうに読書室、家、現場、読書室、家、現場、こんな感じで。また遊ぶのもひとりで家で遊ぶのが好きなのでわからない。ほんとうにまだ実感できない。(一同笑い)

直接出演してイオクソプ監督と共同演出までした短編<FLY TO THE SKY>(2015)で主人公キョファンがリュスンワン監督の演出部として<베를린(ベルリンファイル)>(2012)に合流した話が思い出された。そうして結局現実に<モガディシュ>でリュスンワン監督の映画に合流した。
そうだ。一言でいうと‘ソンドク!(成功したオタク)’(笑) でもまた、ほんとうにどの作品も今まで楽しくなかったことはなかったと思う。現場により環境は違っても僕がその中で胸を躍らせて興奮させられた経験は毎回同じだった。ずっとそうだったらいいな。

ずいぶん前の話だと思うが演技をしようと決心した過程を聞きたい。
まだ僕は自分が俳優だ、演技者だ、こういう自我を持って近づくには照れくささがある。ほんとうにただ ‘映画が好き’から始まったようだ。映画を成すものはたくさんあるが、その中で俳優もいて、編集もいて、演出、音響、撮影もある。そこで僕が何をするか考えたとき見つけたのが俳優だったようだ。

チョソンヒ監督が“演技、演出のうち、何をしろと助言するのが難しい人”だと話した。俳優としてのクギョファンと演出者としてのクギョファンはどのような点で同じで、またどんな点が異なるか。
ただポジションの違いだ。映画という枠で見たら違いはないと思う。

質問を少し修正すると本人が演出した映画に本人が出演することもあるのではないか。監督として俳優クギョファンを見た時どう思うか。
本当に防御的だなと思う。自分を表したいというところもあるし、またそれを完璧に表わさない時もある。一方でそれくらいの距離を置くのがまたおもしろい気もするし。

演出者としては俳優のすべてを引き出したい欲望もあるのではないか。
僕は俳優の100%全部を引き出したい演出家ではないと思う。その人が入ってきて何か発揮してくれたいいという考えよりは、人を見て、その人に惹きつけられて、僕が見たその人をただ僕の世界の中で一緒にいたい人だから。

キャラクター分析を徹底的にして完璧にその人に没入するようだが、実際クギョファンの演技はキャラクターの全体的な姿を推し量るのが難しいことが多い。見せてくれるが気になる演技というか。
とても気分がいい言葉だ、僕もそういう姿勢で人物に近づく。僕が出会ったキャラクターを何かに断定はしなかった。そうして生まれる何らかの変数を楽しむ。作品の中のキャラクターが今このシーンでどうして以前の気持ちでずっと同じように進行できるだろうか。

監督として作ってみたい映画があるか。
トムクルーズが出る映画、宇宙戦争に関する映画や<スターウォーズ>シリーズみたいな映画を作りたいということもあるが、その時その時変わる今作りたい映画をずっと末永く作れたらいい。無理に作ろうという気持ちは無かったらいいし、そうしながらも何かを作り出したい欲望は続いたらいいと思う。

うんざりした時どうすればいいのかというアンジュノの質問に“失望しないこと”と答えたハンホヨルのセリフに心がこもっていて長らく記憶に残った。視聴者に注目してもらいたい場面はあるか。
僕も忘れていたがばっちり良いシーンを選んでくれた(笑)そうやって視聴者皆さんごとそれぞれの魅力的なシーンがあったらうれしい。

ヨンサンホ脚本のTVINGオリジナル<괴이>の撮影中だと聞いた。
そうだ。<괴이>はいま撮影を開始して、ときめく気持ちで現場へ行っている。

それ以外に準備している作品はあるか。
でも僕は次のことだけに集中してるので(笑) <괴이>ひとつやり遂げるのも精一杯なので、ひとまず<괴이>をしっかり仕上げたい。


けっこう長めなので読み違い、誤字もありそうですがすみません。特に後半の俳優クギョファンとしての演技について、演出家としての回答らへんとか訳のニュアンスが不安、というか変なところが多いが…まぁ雰囲気で…。

完全にジュノヨルにどっぷり浸かっているので、ありがたすぎてこのインタビューだけでさめざめと泣いてしまううう。
ホヨルの過去については見せすぎないように意図されたようだけど、実家は立派なアパートだけどなんでか大学には行ってなかったり、大きな家族写真を飾ってはあるけど休暇で帰った家に両親はいないし…とかいろいろとね、考えちゃうね。でもクギョさん本人が言うようにホヨルは寂しくて誰かを求めていてそこに現れたのがジュノで、ジュノにとってもホヨルは救いで…つってね、はぁ。
ホヨルはジュノを守りたかったしそれで精一杯だったけどソッポンは救えなかったんだよね…わかってはいたけどそこまで考えないようにしてたんだろうし、だからこそ最後のソッポンへのセリフが空虚に聞こえてしみじみとつらい。
私はホヨルがだいすきだよ………ハンホヨル幸せでいてくれよ。

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